ABOUT

はじめまして。 代表の宮本成人です。 まずは自己紹介。 日大法学部に入学し、弁護士目指して勉学に励もうと憲法部に入部。 ところがそこは、日本拳法部だった。退部を試みたものの、怖い先輩方に囲まれ仮入部に判を押す。授業はほとんど出ることなく、もっぱら道場にて胴着、バンテージ、防具の手入れ。2年次に右肘の靭帯を伸ばしてしまい、以後防具を着ける時はテーピングが必需品となる。4年次、関東リーグ1部復帰、全日本大学拳法選手権優勝、卒業後、地元の企業に就職するも、2年で退職。日本拳法協会海外指導普及員としてカナダ(バンクーバー)に2年間勤務。最初は英語分からず日本語を話す相手は居ず3ヶ月苦しむ。メキシコ遠征2回。日本拳法3段。帰国後、長野オリンピック招致の仕事に携わる。その後、職を転々とすること8回。植木屋に在職時、作業後のお客様の笑顔と、すがすがしさ、何ともいえない心地よさを実感し2009年、草むしり.comを創業。群馬県前橋市、高崎市で草むしりを始める。2012年、日本草むしりマイスター協会設立。 「私の使命」 うぅ、ひでぇ、これから不安村の話をしようと思うんだが、そう思っただけで身震いがする。 蚊は出るし、ヘビは出る。草はぼうぼう、庭木は荒れ放題。足を踏み入れる場もねぇんだ。お天道様も射さねぇし、庭に出るのも見るのも寒気がする。 近頃じゃぁ、泥棒が入ったという家もちらほら噂に聞く。 なかには、きれいに庭を手入れしている家もあるんだ。そういう家には蚊もヘビも出ないし泥棒も入らないらしい。 でも、だめなんだ。 きれいにしたいんだが、じいちゃん、ばちゃんが多いこの村は、若者がみーんな街に出て行っちまったんだ。 じいちゃん、ばあちゃんは、力がなく、足腰も弱り、今じゃぁ、庭の草をむしることさえ出来なくなっちまったんだぁ。 たまに飛び込みで来る営業がいるがぁ、タバコを咥えながらゆっくりゆっくり仕事して、法外なな金額を請求してくるんだぁ。名前は名乗んねえし、一度やったらそのまんま、連絡なんかねぇ。 自分じゃぁできねぇし、飛び込み営業はボッタくるし、不安村は荒む一方だぁ。 その村にミヤモトっていう中年がいた。 ある晩、村に住むミヤモトのじいちゃん、ばあちゃんは首を集めて話し合っていた。 「あぁあ、おらたちの村はなんという村かのう、すっかり荒れちまったぁ。だれか助けてくれんかのう。」 「だめさ、草はぼうぼう、植木はボサボサ。蚊は出るし、ヘビは出るし、こんな庭じゃ、おらたちには手に負えねぇ。最近じゃあお天道様も入らなくなっちまったぁ。悪い村に生まれたと思って諦めより仕方がねぇさ。」 そんな話を耳にしたミヤモトは、サラリーマンを辞めた。 よし、おらがやる。 翌日、チラシを作った。安心して頼んでもらえるように、明確な料金設定、ミヤモトの顔写真、プロフィールを載せた。 毎日毎日チラシを配った。 近所の老人は、ミヤモトが1人でこんな仕事を始めたので、どうした、どうした、大丈夫だろうかと聴いてきた。 「うん、おらは、この村の草を全部退治しちまおうと思ってんだ。」 と、ミヤモトが応えると、みんなは、ミヤモトの野郎、ばっかじゃなかろうか?こんな仕事で飯が食えるわけねぇ、と大笑いし始めた。 でもミヤモトは、またチラシを持って配り始めた。 毎日まいにち、ミヤモトが、汗びっしょりになってチラシを配るもんだから、村人たちもなんだか気になり始めてきた。 何日かして、雑草で困った村人が声を掛けてくれた。 ミヤモトは、そのばあちゃんのために汗水流して夢中で草をむしった。 ばあちゃんは、きれになった庭を見て涙をこぼした。 「亡くなったじいちゃんと過ごした40年前に戻ったようだのう。じいちゃんに見せたかったのう。」 そんな噂を聴いて、少しずつ少しずつ、注文が入るようになり、きれいな庭が少しだけ増えてきた。 そのうち、おらも手伝おうか、と一緒にやってくれる仲間が出てきた。タケウチというじいさんだ。 タケウチは、草むしりはこうした方がいい、剪定はこうするんだ、と教えてくれた。 荒れた庭は、ちっとも少なくならなかったけど、 こんなにきれいになるんならと、おらも私もと、一軒、二軒と頼んでくれるようになった。 ミヤモトは今までのスタイルとは違う。ちゃんと見積もりを取って事前に料金を明示する。テキパキ動く。それにタバコは吸わないんだ。 こうなると、何軒も何軒も安心して頼むようになり、ふたり三人と一緒に手伝う仲間も増えてきた。 こうして何年も何年もたった。 当時のじいちゃん、ばあちゃんたちは死んじまったし、ミヤモトも仲間も老人になっちまった。 それでも、ミヤモトの子どもや仲間の子どもたちが草むしりを続けていた。 草は半減し、暗く陰気だった庭は眩しいくらい陽が射すようになった。庭には蚊やヘビに変わり、小鳥のさえずり声が鳴り響くようになった。 同時に犯罪も激減した。 ある年、住んでみたい村ランキングが発表された。 不安村は、その年なんと日本一に輝いた。 それから、不安村は安心村と呼ばれるようになった。